私が様々な現場に勤めていて、度々感じるのは「子どもたちって忙しいんだなぁ」ということです。
曜日ごとに違った習い事をしていて、さらに学習塾、、、!?お習字?!
入塾時、曜日条件調査をしていくためにすべてのお客様に一週間のスケジュールを書いていただくのですがまぁ皆さんハードでいらっしゃいます。。
でも、いろんな経験をさせて、学校以外の世界を知ること、私は大賛成です。
私自身、思い返せば小学生時代はスイミング、ピアノ、公文、絵画教室、書道教室、、と毎日何かしらの習い事をしていました。
私には4つ上の兄がいるのですが、とにかく「お兄ちゃんがやっているから私もやりたい!」という感じで習いごとにくっついて行っていたそうです。笑
もちろん当時は大人まで続けるなんて、それを職業にする、だなんて私含め、両親でさえ思ってもいませんでした。
しかし、たくさんの経験をしていくなかで、特にピアノと書道は、自信を持つことができ、大人になった今、この2つは職業として関わることができている私がいます。
もちろん私のように、習いごとがきっかけで将来の職業が決まるケースは稀有でしょう。
でも、習いごとは、子どもに自信と可能性を与えてくれます。
そして、好きだからこそ、初めて挫折と向き合えるようになります。
ピアノでは、憧れていた曲を進度を無視し、先生に無理にわがままをいって、弾かせてもらえるチャンスをもらったことがあります。でも背伸びした曲だからこそ、案の定難しくてなかなか弾けず、悔しくて悔しくてたまりませんでした。周りは「ほら、やっぱりまだ早かったじゃない」と言われることが悔しくて。でも、好きだからなにくその根性を発揮し、時間はかかったけどなんとか弾けるようになり、「練習すれば自分にもできる」と自信がつくきっかけになりました。今でもその曲は、私にとってとても思い入れのある大切な一曲です。
書道では、硬筆展、書き初め展で、小学校3年生まで毎回県展の特選止まりで、悔しい思いをたくさんしました。
「どうしても金色の長い文字が書かれている賞」がほしかった私は、必死に毎回練習をしました。結果、初めて小学校4年生のころ、特別賞(金色の長い文字が書かれている賞)をもらうことができたとき、子どもながらに涙が出るほど嬉しかったことを今でも覚えています。そこからまた自信に繋がりました。
もっとも、2つとも好きだから頑張れたのだと思います。
でもこの二つをここまで好きになれたのは、指導してくださった各先生との出会いです。
子どものものごとの好き嫌いは、ほんの些細なきっかけで大きく左右されると思います。
私が受験勉強が忙しく、書道教室を辞めようとしたとき、「ひろちゃんの字には芯がある。だから書の道は続ける価値がある」と先生から言われました。先生は覚えてないくらい些細な言葉だったのですが、後々私の人生を左右する一言となりました。
大学受験で書道の道に進むことを先生に報告したとき、奥様からこっそり教えてもらったことがあります。
「主人は、書道教室を始める際自分がきっかけで書の道を志してくれる子どもを育てるのが夢だったのよ。だからとってもよろこんでるの。主人の夢をかなえてくれてありがとう」と。
普段はクールでそう言った姿は出さないので余計込み上げてくるものがありました。。
ピアノの先生も、書道の先生もことの庭の開塾祝いもしてくださり、今でも私にとって大切な指導者であり、大先輩です。
何気なく始めた習い事が人生を大きく変えるきっかけになることだってあるとを私は経験から感じています。
こんな出会いができたのも、たくさんの経験をさせてくれた両親のおかげだと思います。
口には出さないけれど、本当に感謝してます。
習いごとの種まきは大人にしかできません。
幼いころに大人がどれだけ種を蒔いてあげられるか。
種を蒔くのは大人。
しかし、折角出た芽を潰したり枯らしたりするのもまた大人であるということを、私たち大人は肝に銘じておかなければなりません。蒔いたら責任を持って、きちんと水を与えてあげたいですね。
子どもたちが、たくさんの種から芽を出し、力強い根をはり、一つでも蕾を作れれば、きっと自分で花を咲かすことができるでしょう。
ことの庭は、みなさんが種を蒔く「庭」でありたいです。
種から芽を出し、挫折にもへこたれないような根をはるお手伝いを、これからも続けていきます。
[…] 「習いごとが将来に与える効果」より一部抜粋致します。 […]